猫と私たちの出会い
これから猫を飼い、共同生活を始める皆様にとってに、同じ地球上で進化しながら現在があるものの、全く違う環境と歴史の中で生きてきて、ある時から私たち人間と毎日の生活を共にする猫について、深く理解しておきましょう。
私たち人類の進化もあわせて、地球誕生から原始生命の誕生まで遥かに遡って、私たちと猫の歩んできた歴史を理解してください。
地球誕生から生命の起源
今から約46億年前に地球が誕生しました。
誕 生から10億年ほどは火の玉のような状態が続き、 約35億年前に次第に冷え始めると、原始生命が 生まれました。
約2億年前(三畳紀)になると、原始ほ乳類が出現。
このころ大陸移動によって、現在の南極大陸やオーストラリア大陸が分裂したといわれています。
約6500万年前(暁新世)に肉食のほ乳類(肉歯類)が現れ、その仲間が進化してネコ科動物の祖先とされるミアキスが誕生しました。ミアキス は、猫や犬、タヌキやクマといった多くの肉食ほ乳類の祖先といわれています。体長は20~30cm程で胴が長く、森林に生息して木登りを得意としていました。
約2000万年前(中新世前期)には、足指で歩き鋭い犬歯を持つなど、現在の猫の特徴を備えた肉食獣(シューダエルルス属)が出現。
これらは 北米とヨーロッパに生息していました。このグループからは、猫の直接の祖先であるネコ科動物だけでなく、剣歯虎類(サーベルタイガー、スミロドン)も誕生します。
剣歯虎類は約100万年前 までヨーロッパ、アジア、アフリカ、南北米に生息していました。サーベル状の犬歯を備えたこの肉食獣は、当時の地球上で最も強い動物だったろうといわれています。
約1200万年前(中新世後期)には、現在のヨーロッパヤマネコの直系の先祖と考えられている小型の猫類、フェリス・ルネンシスがヨーロッパに生息していました。
人類の誕生
約300万年前に最初の人類(アウストラロピ テクス)が出現。
約20万年前には、アフリカで現在のヒトの祖先(ホモ・サピエンス)が誕生します。
これと同時に、現在のネコ科の祖先が、大型猫(パンサー属)、小型猫(フェリス属)、チーター (アキノニクス属)に分かれました。
2~1万年前にヒトの直接の祖先とされるクロマニヨン人が出現すると、やがて犬や小型猫がそれらの人類に近付いてきました。
イエネコへの進化 (ルーツ)
私たちの身近にいるイエネコ(学名:フェリスカ トゥス Felis Catus)は、いつの時代に現れて、どのように人間に近付いたのでしょうか?
猫のルーツについてはいくつもの説があります。
イエネコの祖先は、北アフリカ、地中海沿岸、インドなどの広大な地域に生息する小型の野生猫、リビアヤマネコであることが、最近の遺伝研究によって明らかになっています。このヤマネコたちは、紀元前2000年ごろには完全に飼い慣らされてイエネコになっていたようです。
1843年、地中海のキプロス島南部キロキティアで新石器時代の遺跡が発掘されたときに出土した猫の骨は、この地域にはネコ科動物がいないことや、頭蓋の形状からも飼育された猫のものであると考えられています。
リビアヤマネコについて
リビアヤマネコは、紀元前約6000年頃、アフリカ北東部を流れるナイル川上流域で狩猟生活 を営む原住民によって飼い慣らされました。はじめは鳥や小動物を狩りするときに役立てられ、次第にイエネコに訓化したといわれています。
体重は4.5~8kgで、毛色は茶褐色。遺伝的にはほとんど純粋種です。
乾いた草原に生息し、夜行性で、薄い縞模様の毛色は敵や獲物から身を隠すのに適しています。
リビアヤマネコは、ごく幼いころから育てると人に慣れるといわれています。また、野生のリビアヤマネコと初期のアビシニアンの容姿や毛色、縞模様はよく似ています。
人とのかかわり
王の墓に描かれる猫
紀元前約4000年ごろには、ナイル川流域で農耕が営まれるようになり、古代エジプト人によって大小の都市が構築されました。
古代エジプトでは、猫はひもでつながれたり自由に放されたりしながら、家族の一員としてかわいがられていたようです。
子猫が貴族の奴隷と遊んでいる様子を描いた当時の壁画が残っています。
作物を貯蔵するための倉が設けられるようになると、その作物を狙うネズミが増えました。飼い慣らされた猫は、ネズミ捕りの名手として穀物が食い荒らされる被害を防いだほか、毒ヘビ退治などでも活躍したため、人々に大切にされました。
紀元前2500年ごろにはエジプトで強大な王朝が成立。
文明が発達し、王の墓であるピラミッドが建造されました。
墓の内部には、首輪をした猫の壁画などが描かれています。
また、猫の美しさと神秘性を崇拝するエジプト人は、たくさんの猫のブロンズ彫刻も残しました。
神格化される
やがて、古代エジプトでは猫が神格化され、女性の胴体に猫の頭部を持つ女神バステト(バスト) 信仰が広まりました。また、オス猫は太陽の神、 メス猫は月の神として奉られ、人々に崇拝されるようになりました。
猫に対しての崇拝は、この女神バステトを奉る祭り(紀元前950年ごろ)で頂点に達しました。 この祭りは季節ごとに行われ、聖地ブバスティスにはエジプト各地から70万人もの人々が集まり、ワインを飲み音楽を奏で、大騒ぎになったと伝えられています。
ミイラになった猫
古代エジプトでは、猫は火を見ると飛び込むと信じられていました。焼死させると飼い主は大罪になるため、火事が起こると家が燃えることよりも、 猫が火に飛び込まないように見張っていたと伝えられています。また、猫が死ぬとミイラにして手厚く葬り、飼い主は眉毛をそって喪に服したそうです。
中近東からアジアに渡った猫たち
古代エジプトでは、聖獣として崇拝していた猫の国外持ち出しを厳禁していました。しかし、フェニキアの商人によって猫は密輸され、中近東や小アジア(現在のトルコのあたり)の貴族、豪商たちの手に渡りました。
紀元前500年頃には、猫はインドにもたらされます。中国には300年頃、仏教経典が渡来すると同時に、経典をネズミの害から守るため に持ち込まれました。
日本には、500年代に遣隋使や遣唐使によって中国から持ち込まれたようです。
イスラム教の開祖モハメット(ムハンマド571~632年)は猫好きとして知られています。 愛猫の『ムアッザ』が彼の長い袖の上に乗って昼寝をしているので、起こさないために自分の袖をちぎったと伝えられています。
ヨーロッパに渡った猫たち
もともとヨーロッパには飼い猫はいませんでした。しかし、キリスト教の誕生とローマ帝国の遠征によって広められ、100年頃までにはロシア南部 とヨーロッパ北部まで持ち込まれていたようです。
当時のヨーロッパでは、猫はネズミなどの害獣を退治する貴重な動物として丁重に扱われました。猫を殺した者は代償として、その大きさに応じた量の小麦を支払わなければならなかったといわれています。
迷信の対象に
猫が、次第にヨーロッパのさまざまな文化のなかに浸透していくにつれ、猫にまつわる多くの迷信や習慣が生まれました。そのひとつとしては、ネズミや悪霊を近付けないお守りとして生きた猫を壁に埋込む、といった猫にとっては迷惑千万な迷信もありました。そのほか、豊作祈願に子猫が生き埋めにされたり、疫病や災難を被った人の救済のために火あぶりにもされました。しかし、これは猫の魔力を信じるがゆえの行為で、当時の人々の猫に対する評価は高かったようです。
猫の暗黒時代
猫は、昼夜で形を変える瞳を持ち、毛を逆立たせ、音を立てずに歩き、闇の中で目を光らせたり、 物を見たりすることができます。それらの特徴を魔術や魔女と結び付けるのは容易なことでした。事実、猫は早くから民間信仰のなかで魔術と結び付けられ、黒魔術や異端的な儀式に猫を用いることも多かったようです。
教会による本格的な迫害が始まったのは15世紀のことです。教皇インノケンティウス8世は、カトリック教会の権威と利益を守るために邪教や偶像崇拝を排除しようと、「魔女狩り」を押し進めました。猫にとっては最大の受難の時代が始まったのです。
魔女の随伴者であり悪魔のシンボルとされた猫は、魔女と見なされた人々と一緒に迫害されました。
猫を飼う人、かくまう人までもが、水責め、火あぶりに処せられたようです。この宗教的、政治的儀式として始まった魔女狩りや猫狩りは、次第に社会的行事となり、果ては娯楽にまでされて 18世紀まで続きました。
アユタヤ王朝時代(1350~1767年)に書かれた キャット・フック・ボエムではヨーロッパで猫が迫害された時期、タイなど東南アジアの国々では、猫は大切に飼育されていた記録があります。
市民権を回復
猫にとって受難の時代が終わるきっかけとなったのは、ドブネズミでした。東方からヨーロッパに侵入したドブネズミは、またたく間に土着のクマネズミを駆逐してしまいます。この機動力にあふれる侵入者を捕食することで人間を助けたのは、これまで忌み嫌われていた猫でした。このころを境に、人々はネズミ捕りの上手な猫を高値で売買するようになります。
19世紀に入り、フランスの細菌学者パスツールが、多くの病気の原因が「細菌」であり、いろいろな不潔さが直接病気と結びつくことを証明すると、人々は動物のなかでとくにきれい好きな猫を受け入れるようになりました。
やがて猫はネズミの退治役ばかりでなく、人とともに家で暮らし、愛情を注がれるペットとしての地位を確立したのです。
猫とペスト
ヨーロッパの都市が発展し、土地が開拓されるにつれ、増加するのがネズミでした。
人間が生活するところ、どこにでもネズミが現れ、食物を食い荒らして飢饉をもたらし、伝染病をまき散らしたのです。
ペストは、ローマ帝国時代の流行を始め、14世紀から18世紀まで何度もヨーロッパで猛威をふるいました。
一般にペストは、保菌ネズミを吸血したノミに刺された人が感染し、感染者の唾液や痰などに含まれる菌によって人から人へと伝染します。ペスト菌は人の体内で次々にリンパ線を破壊し、やがて肺炎などを引き起こし死に至らしめます。
しかし、猫の体内に入ったペスト菌はリンパ腺で壊滅してしまうめ、ペストが猫に伝染することがあっても、猫から人間に伝染することはありませんでした。つまり猫は、ペスト菌を媒介するネズミを退治するのにもっとも適した、頼もしい助っ人だったのです。このため、多くの猫が大切に飼われていたインドや東南アジアなどの地域では、ペストの流行が最小限に抑えられたといわれています。
日本猫の歴史
「日本猫」の祖先がいつの時代に現れたのか、その多くは謎のままです。
日本では、約2500年前の弥生時代に農耕が始まりました。収穫した穀物を荒らすネズミを猫が捕食していたようで、当時の遺跡からは数多くの 猫の骨が発掘されています。しかし、これらは野生猫であったとされ、日本猫の祖先とする根拠はないようです。
日本猫のルーツは中国大陸から
538年、日本に仏教が伝来したといわれており、以後、遣隋使や遣唐使の派遣によって薬学、養蚕などが次々に伝来しました。この遣隋船や遣唐船には、ネズミの害を防ぐために多くの猫が乗せられていました。この培たちが日本猫の先祖になったと考えられます。
平安時代に書かれた宇多天皇の日記(889年2月26日)には、大宰府から献上された「墨のように真っ黒い唐猫」の様子が詳しく記述されて おり、これは現存する日本最古の猫の記録です。これ以後、『枕草子』、『源氏物語』、『更科日記』 などにも猫が登場しています。このことから、日本猫のルーツは今から約1400年前に大陸から渡来した「唐猫」で、これが貴族のあいだで飼育されるようになったのが始まりだと考えられます。
鎌倉時代には短尾が輸入される
神奈川県にある金沢文庫が設立された鎌倉時代、多くの書物が宋から輸入されました。それらを運んだ船に乗っていたのは、やはりネズミ捕りの上手な猫たち。この猫たちのほとんどは尾が短く、なかには三毛猫もいたといいます。 このころから日本では「猫又」と呼ばれる化け猫の伝説が広がり始めます。「体が大きく尾が長く、毛色が黒や黄色の猫は、歳をとると尾が二股に分かれ、老婆に化ける」といわれたため、猫の長い尾を切る風習ができたようです。
江戸時代には庶民に広まる
江戸幕府5代将軍徳川綱吉は「生類憐みの令」 (1685年)を発令「犬公方」と呼ばれまし た。この法では生きものをいじめた者を厳罰に処したため、それまで行われていた猫の断尾や、猫 を綱で縛る習慣が禁止されました。
しかし、この法令は、1709年に綱亡くなると間もなく廃止された。
浮世絵に描かれる猫
江戸後期、尾曲がり猫は突如として喜多川歌麿、安藤広重、歌川国芳などの浮世絵に登場しました。これは、猫又伝説が江戸時代の庶民に浸透して、長い尾の猫は嫌われたためと思われます。しかし、京都などでは尾の長い猫を飼う者が多く、江戸や浪花では短尾の猫が多かったとも伝えられています。
「猫飼好五十三疋」(部分)
猫の浮世絵を多く残した歌川国芳の作品の一つ。ここでは 73匹の猫を描き、そのうちの7割強に当たる 52匹が尾曲がり猫として描かれています。